復職に失敗してしまいました【体験談④】

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職場復帰初日

産業医との面談で、復帰初日は水曜日に決まった。月曜から復帰するよりも週の中間ころから始めると、負荷が軽いとのことだった。

復帰初日の早朝は問題なく起床できた。通勤電車の中では職場の方にどのように挨拶しようかを考えていた。考えていても不安が増すだけなので、

「ご心配ご迷惑をおかけしました。体調に気をつけながら少しずつ頑張っていきたいと思います。」

挨拶に困ったら、この言葉を使おうと思っていた。一言一句すべて自分の本心ではないところもあるかもしれないが、初日の挨拶としては無難だと思った。

また、3か月休んだことで職場にも迷惑をかけたので、簡単な手土産も持っていった。会社に到着し職場の上司に挨拶を済ませると、自分の机に案内された。負荷の軽いチームに異動となったので、職場は同じであるものの机の位置は変わっていた。

かなり早めに出社したため、社員はまだ1割も出社していない状態だった。しばらくすると次々社員が出社してくる。私を見るとすぐに声をかけてくれる社員が多く一安心した。また、私の想像以上に多くの人が、私の復帰を喜んでいていることに驚きもした。

その日は休職した3か月間に溜まっていた約1500件程度のメールを眺めるだけだった。メールの中には同期や組合活動仲間からの応援メールもあり、初日はスムーズに復帰することができた。

復帰は順調のはずだった・・

私の職場には出退者管理システムというものがあり、職場内のメンバーの出社時間や退社時間を見ることができる。休職前と変わらず忙しい社員もいたし、私が一時休職したことで忙しくなっている社員もいた。

復帰してから2週間は順調だった。朝8:00には出社し、17:30には退社する。業務内容は以前のピーク時と比べると3分の1程度のように感じた。仕事の納期が厳しいわけでもなく、組合活動もしなくてよい。

ただ、体力面に関してはややきついものがあった。なんとか1週間5日連続出社することはできるが、日中に眠くなることが多い。会社内で寝てしまう日もあったほどだ。

そしてついに、復帰から3週間経ったころ、会社を休んでしまった。その日を境に徐々に午後出社や会社を休む日が少しずつ増えていった。業務はきつくないものの、朝起きれない日が出てきてしまっていた。

会議室から逃亡

業務の中には自分一人で完結するものだけでなく、成果を報告する場面もある。この日は会社の役員に私のチームの仕事の成果を報告する日だった。報告資料は私が作成したものだ。

この報告会自体は私が復帰してから3回目で、報告もこれまでも2回行っていたため問題なく進むと思っていた。

しかし、この日は議論が白熱した。私は役員との質疑応答を30分ほど続けていたところ、突然思考が停止してしまったのである。

役員の質問の意味が全く分からなくなった。もともと、こういった報告会は抽象的な質問や意見が多く、それに対する回答も曖昧になることもよくある。それを知ったうえでも何を言っているかが分からない。

私は役員の度重なる質問に対して無言でいた。もうどうしようもなかったので、とっさにこう言った。

「すいません。ちょっとトイレに行ってきます。」

そういって私は会議室を出た。しかし、そのあと私はトイレにいくこともなく会社内をフラフラと歩いていた。気がつけば社内の草むらがあるところで、転がって寝ていた。

しばらくすると私の携帯に数件の着信が入っていることに気づく。かけ直す気力はなかった。しかし、再度着信があったため電話に出た。

人事からだった。私を心配しており、私のところに来るとのことだった。

普通の社会人ならとんでもないことである。会議を放棄して、草むらで寝ているなんてありえない。私は草むらの中で訳が分からず号泣していた。泣いたのはいつぶりだろうか。感情のコントロールもできなくなっているのだろうか。

私はそのまま健康管理センターに連れていかれ、ベットで3時間ほど仮眠を取ったあと職場に戻ることなく、帰宅することをすすめられた。会議室に置きっぱなしにしたパソコンは周りの人が片付けてくれるようだ。

2回目の休職

会社を休む時は有給休暇を消化することになる。しかし、私の場合、その有給休暇はもう底をついている状態だった。会社を休む度に欠勤になり、その分、給料も出ない。給料は手取りで3万円になってしまっていた。人事も欠勤状態は把握していたので、経済的なことを考慮し再度休職することになった。復帰は約半年しか続かなかった。

1回目の休職よりもさらに深い休養が必要になってしまった。

(次回へ続く)

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